百(ヒャク)は九十九(キュウジュウキュウ)によって用(ハタラ)き、五十(ゴジュウ)は四十九(シジュウク)によって、二十(ニジュウ)は十九(ジュウク)によって用(ハタラ)くのであるぞ、この場合(バアイ)、百(ヒャク)も五十(ゴジュウ)も二十(ニジュウ)も、天(アメ)であり、始(ハジ)めであるぞ、用(ハタラ)きは地(クニ)の現(アラワ)れ方(カタ)であるぞ、フトマニとは二十(ニジュウ)の珠(タマ)であり、十九(ジュウキュウ)は常立(トコタチ)であるぞ、根本(コンポン)の宮(ミヤ)は二十年毎(ニジュウネンゴト)に新(アタラ)しく致(イタ)さねばならん、十九年(ジュウキュウネン)過(ス)ぎて二十年目(ニジュウネンメ)であるぞ。地上的(チジョウテキ)考(カンガ)へ方(カタ)で二十年(ニジュウネン)を一(ヒト)まわりと考(カンガ)へてゐるが、十九年(ジュウキュウネン)で一廻(ヒトマワ)りするのであるぞ、いろは(母)の姿(スガタ)見(ミ)よ。