口先(クチサキ)ばかりで、その場(バ)限(カギ)りでうまい事(コト)申(モウ)して御座(ゴザ)るが、それは悪(アク)の花(ハナ)、心(ココロ)と行(オコナイ)が伴(ワカ)わんからぢゃ。己(オノレ)自身(ジシン)のいくさが終(オワ)ってゐないからであるぞ。そなたのもつ悪(ワル)いくせを直(ナオ)して下(クダ)されよ、それが御神業(ゴシンギョウ)ぢゃ。神々様(カミガミサマ)も自分(ジブン)のくせを直(ナオ)すために御苦労(ゴクロウ)なさってゐるぞ、そのために生長(セイチョウ)する。昨日(キノウ)の自分(ジブン)であってはならんぞ。六十(ロクジュウ)の手習(テナライ)でとまってはならん、死(シ)ぬまで、死(シ)んでも手習(テナラヒ)ぢゃ。お互(タガイ)におろがめよ、おがむと総(スベ)てが自分(ジブン)となる、おがむところへ集(アツ)まって来(キ)て弥栄(イヤサカ)ぢゃ。