大空(オオゾラ)に向(ムカ)って腹(ハラ)の底(ソコ)から大(オオ)きく呼吸(コキュウ)してゴモクを吐(ハ)き出(ダ)し、大空(オオゾラ)を腹一杯(ハライッパ)吸(ス)ひ込(コ)んで下(クダ)されよ。そなたの神(カミ)を一応(イチオウ)すてて心(ココロ)の洗濯(センタク)を致(イタ)してくれよ、神示(フデ)が腹(ハラ)に入(ハイ)ったらすてて下(クダ)されと申(モウ)してあろうがな、神(カミ)を信(シン)じつつ迷信(メイシン)に落(オ)ちて御座(ゴザ)るぞ。日本(ニホン)が秘(ヒ)の本(モト)の国(クニ)、艮(ウシトラ)-宇詞答裸-のかための国(クニ)、(ヒ)出(イ)づる国(クニ)、国常立大神(クニノトコタチノオオカミ)がウシトラの扉(トビラ)をあけて出(イ)づる国(クニ)と言(イ)うことが判(ワカ)りて来(コ)んと、今度(コンド)の岩戸(イワト)ひらきは判(ワカ)らんぞ、こんなことを申(モウ)せば、今(イマ)のエライ人々(ヒトビト)は、古(フル)くさい迷信(メイシン)ぢゃと鼻(ハナ)にもかけないなれど、国常立命(クニノトコタチノミコト)がウシトラからお出(デ)ましになることが岩戸(イワト)(言答)ひらきぞ、今(イマ)の学(ガク)では判(ワカ)らんことばかり。善(ゼン)と悪(アク)とに、自分(ジブン)が勝手(カッテ)にわけて、善(ゼン)をやろうと申(モウ)すのが、今(イマ)の世界(セカイ)のあり方(カタ)。天(テン)の王(オオ)、地(チ)(智、千)の王(オオ)のこと、のことがハッキリ判(ワカ)らねば足場(アシバ)がないではないか、足場(アシバ)も、めあてもなくてメクラメッポーに歩(アユ)んだとて目的(モクテキ)には行(ユ)きつけぬ道理(ドウリ)。