今(イマ)まで世(ヨ)に落(オ)ちてゐた神(カミ)も、世(ヨ)に出(デ)てゐた神(カミ)も皆(ミナ)一(ヒト)つ目(メ)ぢゃ、一方(イッポウ)しか見(ミ)へんから、世界(セカイ)のことは、逆(ギャク)の世界(セカイ)のことは判(ワカ)らんから、今度(コンド)の岩戸(イワト)ひらきの御用(ゴヨウ)は中々(ナカナカ)ぢゃ、早(ハヨ)う改心(カイシン)してこ(九、光)の神(カミ)について御座(ゴザ)るのが一等(イットウ)であるぞ。外国(ガイコク)の方(ホウ)が早(ハヨ)う改心(カイシン)するぞ、外(ガイ)-幽-国人(コクジン)とは逆(ギャク)の世界(セカイ)の人民(ジンミン)のことであるぞ。神(カミ)の目(メ)からは世界(セカイ)の人民(ジンミン)、皆(ミナ)わが子(コ)であるぞ。世界中(セカイジュウ)皆(ミナ)この神(カミ)の肉体(ニクタイ)ぞ、この神(カミ)には何一(ナニヒト)つ判(ワカ)らん、出来(デキ)んと申(モウ)すことないのぢゃ。どんなことでも致(イタ)して見(ミ)せるぞ。