現実(ゲンジツ)の事(コト)のみで処(トコロ)してはならん、常(ツネ)に永遠(エイエン)の立場(タチバ)に立(タ)って処理(ショリ)せよと申(モウ)してあろうがな、生(イ)きることは死(シ)に向(ムカ)って進(スス)むこと、マコトに生(イ)きる大道(オオミチ)に目(メ)ざめてくれよ、神示(フデ)を始(ハジ)めから読(ヨ)めば何事(ナニゴト)もありやかぞ。奥山(オクヤマ)はあってはならん無(ナ)くてはならん存在(ソンザイ)であるぞ。善人(ゼンニン)の住(ス)むところ、悪人(アクニン)の休(ヤス)む処(トコロ)と申(モウ)してあろう、奥山(オクヤマ)は神(カミ)、幽(ユウ)、現(ゲン)の三界(サンカイ)と通(ツウ)ずるところ。八尋殿(ヤヒロドノ)の左(ヒダリ)と右(ミギ)に宮(ミユ)が建(タ)つ、奥(オク)にも一(ヒト)つ。