太陽(タイヨウ)は十(トウ)の星(ホシ)を従(シタガ)へるぞ、原子(ゲンシ)も同様(ドウヨウ)であるぞ。物質(ブッシツ)が変(カワ)るのであるぞ、人民(ジンミン)の学問(ガクモン)や智(チ)では判(ワカ)らん事(コト)であるから早(ハヨ)う改心(カイシン)第一(ダイイチ)ぞ、二二(フジ)と申(モウ)すのは天照大神殿(アマテラスオオカミドノ)の十種(トクサ)の神宝(カムタカラ)に(テン)を入(イ)れることであるぞ、これが一厘(イチリン)の仕組(シクミ)。二二(フジ)となるであろう、これが富士(フジ)の仕組(シクミ)、七(ナナ)から八(ハチ)から鳴(ナ)り鳴(ナ)りて十(ト)となる仕組(シクミ)、なりなりあまるナルトの仕組(シクミ)。富士(フジ)(不二)と鳴門(ナルト)-成答-の仕組(シクミ)いよいよぞ、これが判(ワカ)りたならば、どんな人民(ジンミン)も腰(コシ)をぬかすぞ。一方的(イッポウテキ)に一神(ヒトカミ)でものを生(ウ)むこと出来(デキ)るのであるが、それでは終(オワ)りは完(マット)う出来(デキ)ん、九分九厘(クブクリン)でリンドマリぞ、神道(シンドウ)も仏教(ブッキョウ)もキリスト教(キョウ)もそうであろうがな、卍(ブツ)も十(キリスト)もすっかり助(タス)けると申(モウ)してあろうがな、助(タス)かるには助(タス)かるだけの用意(ヨウイ)が必要(ヒツヨウ)ぞ。用意(ヨウイ)はよいか。このこと大切(タイセツ)ごと、気(キ)つけおくぞ。なりなりなりて十(ト)とひらき、二十二(ニジュウニ)となるぞ、富士(フジ)-普字-晴(ハ)れるぞ、大真理(ダイシンリ)世(ヨ)に出(デ)るぞ、新(アタラ)しき太陽(タイヨウ)が生(ウマ)れるのであるぞ。