歓喜(カンキ)に裁(サバ)きのない如(ゴト)く、神(カミ)には裁(サバ)きなし。さばき説(ト)く宗教(シュウキョウ)はいよいよ骨(ホネ)なしフニャフニャ腰(コシ)となるぞ、戒律(キリツ)や裁-サバ)きは低(ヒク)い段階(ダンカン)、過去(カコ)の部分的(ブブンテキ)一面(イチメン)に過(ス)ぎん、裁(サバ)きを説(ト)くのは自分(ジブン)で自分(ジブン)をさばいてゐること、人民(ジンミン)に罪(ツミ)なし。 手長手伸(タナガタノシ)堅磐常磐(カキハトキハ)に 祝(イワ)ふ御代(ミヨ)なる。生井栄井津(いくゐさかゐつ) 長井阿須波比支(ながゐあすはいき) たたへましを。底(ソコ)つ岩根(イワネ) 千木岩(チギイワ)高(タカ)く瑞(ミヅ)の 御舎(ミアラカ)。四方(ヨモ)の御門(ミカド) 五方(イツモ)とひらき 宇都幣帛(ウヅミテクラ)を。御巫(カムナギ)の 辞竟(コトオ)へまつる 生足御国(イクタルミクニ)。塩沫(シホナハ)の 留(タ)まる限(カギ)り 皇国弥栄(ミクニヤサカ)ゆ。海原(ウナバラ)の 辺(ヘ)にも沖(オキ)にも 神(カミ)つまります。天(アメ)の壁(カベ) 地(クニ)の退立(ソギタ)つ 極(キワ)み手伸(タノ)しき。八十綱(ヤソツナ)を 百綱(モモツナ)とかけて ささし給(タマ)はむ。